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あきんどブログ記

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昭和のまちづくり

(静新平成19年12月21日夕刊)
光がみえる・再生への助走
30年代の商店街で復活「昭和の町」
国東半島西部に位置する大分県豊後高田市。人口わずか二万五千人の小都市だが、そこにある商店街を目指し、年間約三十万人もの観光客がバスを仕立ててやってくる。長さ五百㍍、約百店舗の通りを「昭和の町」という、まちづくりにしてみたら大成功したのだ。
「こんなにいみる(増える)なんて思わなかった」。同商店街の再生に当初から、かかわっている菓子店経営・森川克己(五九)も通りのにぎわいに「自分でも驚く」。
ここは元駅前商店街。だが一九六五年に宇佐神宮前から豊後高田市を結ぶ私鉄が廃線になり、その後徐々に勢いを失っていってしまった。「通るのは犬や猫のほうが多い」という状態の商店街。
その再生を願い、九二年に同市の商工会議所が一千万円をかけ、広告代理店に活性化策を依頼。だが結果は莫大(ばくだい)な資金が必要な案だった。
この案はお蔵入りとなったのだが「大都市とは違う、ここにしかないものを旗印にまちづくりをしたいという意識は逆に強く残ったんです」。「昭和の町」の推進役となった同会議所職員の金谷俊樹(五二)はそう語る。
▽笑顔と誇り
まちづくりのキーワードは「歴史」だった。安土桃山時代の城下町である豊後高田市は歴史の宝庫。調べると古代から近代まで、それなりに面白い歴史が存在していた。でも江戸時代なら萩、津和野にかなわない。明治でも横浜、神戸、門司にかなわない…。「消去法で最後に残ったのが昭和三十年代だった」この金谷の提案に森川ら商店主からは「そういえば、うちのばあちゃん、じいちゃんたちの時代はみんな笑顔で誇りを持って商いをしていたなあ」という言葉がもれた。
商店街が元気だった最後の時代、昭和三十年代に戻ろう。
金谷たちはこのプランを豊後高田市長の永松博文(六八)に直訴。「君たちが一生懸命やっているのは認めたい」との即断即決で、商店主、商工会議所、行政の三者一体のまちづくりが具体的に進み出した。
「昭和」から商店街を見直してみると、店舗の六、七割が昭和三十年代までの建物。高度成長期に看板建築によって化粧されているだけの店舗が多く、それを取り除くと昭和三十年代の町並みがそっくり残っていた。
修景した店舗を「昭和の店」と命名、「昭和の町」は二〇〇一年秋にオープンした。「昭和の店」では代々伝わる商売道具などを「一店一宝」として展示、オリジナル商品を「一店一品」として販売。観光客と店をつなぐ案内人も用意した。翌年には農業倉庫を改装した拠点施設「昭和ロマン蔵」の中に柵駄菓子屋の夢博物館」が誘致され、「昭和の町」の成功物語が始まっていった。
▽人と人が出会う
当初の七店だった「昭和の店」も、今では三十八店に増加。森川の店ではミルクセーキが人気だし、昭和二十六年建築の店の姿に戻した肉店ではおかみ相伝の手づくりコロッケがよく売れている。
それらの店を最初の案内人だった藤原ちず子(五八)に案内してもらったら、この町の楽しさが本当によく分かった。
金物店の前で「お金のない人はここで湯たんぽを買ってください」と藤原。そして「買った湯たんぽの湯を抜いて銀行に持っていくとたくさんお金を貸してくれます」。藤原の愉快な話に乗せられて自然に客も店の人と話をしている。思わず買い物もしてしまう。藤原は言う。「ここは人と人が出会う所。対話の中で商いがある町です」その「昭和の町」の仕掛け人・金谷は現在、長野県飯田市に住んでいる。観光客が落ち込む天竜峡の再生のための助っ人として、同市に派遣されているのだ。
日本政策投資銀行大分事務所長時代に「昭和の町」を応援した飯田市長の牧野光朗(四六)に請われてのこと。牧野は当初から「昭和の町」の成功を予言した人で、町を運営する組織の必要性を早くから提言していた。
その提言などもあって、「昭和の町」を運営する「豊後高田市観光まちづくり株式会社」が二年前に設立された。
商工会議所職員の金谷も同社に出向している身分。金谷を飯田市に派遣している同社社長の野田洋二(五九)は「『昭和の町』を成功させた人物が、もう一つ地域再生を実現できたら素晴らしいじゃないですか」と語った。「昭和の町」は今、新しい広がりと展開の段階を迎えている。(敬称略)









新しい日本の原風景
昭和三十年代の東京を舞台にした映画「ALWAYS三丁目の夕日」が大当たり。その続編もヒット中。日本橋の上をまだ高速道路が走っていない時代。広い空の下、庶民の生き生きとした暮らしぶりが受けている。
昭和三十年代は戦後の復興期が終わり、貧しくはあったが、皆が夢と希望を持って生きていた時代。それゆえに懐かしさを刺激するようで、昭和をテーマにした施設やまちづくりは全国に多い。
東京・お台場の「台場一丁目商店街」は昭和三十年代の東京の下町を再現した買い物街。フードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」は、架空の下町の昭和三十三年の夕焼けを演出している。
豊後高田市の「昭和の町」のモデルにもなった山形県高畠町の商店街は各店の懐かしの品物を展示、それらを「昭和ミニ資料館」と呼んでいる。
また福井県立歴史博物館には「昭和のくらし」のゾーンがあるし、東北歴史博物館も復元した昭和三十年代の仙台市内の雑貨屋が人気だ。
昭和三十年代の資料館では愛知県の北名古屋市歴史民俗資料館が有名。映画「ALWAYS三丁目の夕日」や[昭和の町」に今年できた「昭和夢町三丁目館」などにも協力している。
同館の学芸員・市橋芳則(四四)は「その時代を知らない子どもも楽しんでいる。前向きに夢を持ち、日々の暮らしの中に感動があった昭和三十年代は新しい日本の原風景として普遍性を持ち出している」と話している。

syouwa
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  1. 2007/12/22(土) 15:10:31|
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