あきんどブログ記

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「大いなる誤解」 渡辺利明

「大いなる誤解」 渡辺利明
 本紙元日号に栗原裕康市長の年頭所感が掲載されていた。沼津市政の方向性について、相も変わらず「大沼津主義」を掲げている。それは「県東部で一番都市的魅刀に溢れた街づくり」という言葉に凝縮されている。
 沼津駅周辺の惨憺(さんたん)たる状況を市長は見ているのだろうか。市長は初当選当時、近隣市町と、その統合をも展望に入れた協調体制を標榜して、それぞれの首長とも意見交換したようだが、この構想は全く相手にされることなく宙に消えた。
 それは近隣市町からすれば、「沼津中心主義」が腹に据えかねてのことだと思う。当時、既に沼津は県東部の中核都市としての輝きを失っている現実に、市長、市幹部、議員が認識していなかった証左と思われる。
 商工業の衰退化が急速に進み、全国屈指の人口流出が進む中で、四半世紀も前の鉄道高架事業にしがみつき、財政状態も芳しくない沼津を他市町が相手にするはずがない。
 櫻田光雄氏、斎藤衛氏、栗原裕康氏と三代続いた市長の時代に沼津の斜陽化は急速に進んだのだが、その一例を紹介しよう。
 沼津は、かつて商都として近隣に名を馳せたが、経済産業省が五年ごとに調査し全国市町単位で発表する商業統計調査で沼津の指標を見てみよう。この調査は、各企業が、その地の経済力を判断する一番基本的な調査である。
 平成三年、沼津市には卸小売業の事業所が四、一九八あったが、二十年後の二十四年には一、九七三まで減った(五三%減)。また、その販売総額(卸小売菜)は一兆二、二一二億円から五、七八〇億円(同じく五三%減)となり、同様に従業員数も激減した。
 同じような変化が製造業の分野でも起き、当然、沼津市人口の大幅減少につながっている。
 この実態は沼津市当局が十分把握しているはずだが、議会でも、ほとんど問題視されていない。このような実態を冷静に分析する企業であれば、沼津撤退作戦を始めるのは当然だ。
 先頃、イトーヨーカドー三島店が大幅改装を行い、その一画に西武コーナーが設けられた。服飾関係、銘菓、ガラス器、装飾品などが並び、あの見慣れた西武の包装紙が三島で復活した。沼津店には投資はしない。将来のリターンが期待できない所に企業が投資しないのは自明のことである。このことは、かつて自営業の経験がある栗原市長には十分分かっていると思うが。
 しかし、この責任を栗原市長一人に負わせるわけにはいかない。この変化は二十年程の間に起きたことだから、むしろ櫻田、斎藤の両元市長の方が責任が重いかもしれない。
 実は、このような変化は全国各地で起きていて、大きくは社会経済環境の著しい変化が、その背景にある。残念ながら三代の市長は、このような大きな社会の変革には気付いていなかった、あるいは正面から見ようとしなかった。とりわけ、このような大きな変化が顕在化している中で、四半世紀前の鉄道高架にしがみついている栗原市長の責任は重大である。
 栗原市長は、高架化で生まれる鉄道跡地に「都市的魅刀に溢れた街づくり」を行うというが、具体的に、どのような街づくりを行おうというのか示していない。
 沼津駅北口に新しい小規模ホテルが移転し、周辺一帯には一般住宅、小規模事務所、ワンルームマンションなどが建築されたが、これが沼津市が標榜する「高次都市機能」だろうか。これらは全て税金を原資とする再開発事業だ。市長の言は、まさに言葉の遊戯に過ぎない。
 鉄道高架の現状を見てみよう。昨年一月、県は当初計画に従い貨物駅を原地区へ移転させる方針を表明したが、この一年間、実質的には一歩も前進していない。四十数人の貨物駅移転先地権者が、高架そのものに疑問を呈し、用地の買収に応じていない現実をどう見るのか。
 国家レベルの国立競技場建設問題の迷走を見ても、公共事業に対する国民の視線には厳しいものがある。まして人口二十万人足らずの沼津市の鉄道高架に巨額の税金が投ぜられることが全国レベルで明らかにされれば、事業の進捗はあり得ない。
 知事もこのことが分っているから、地権者に対する約束もあって強制収用などに打って出るわけにはいかない。このままでは南北交通の不便を解消させる日は、いつ実現するのか。
 大いなる誤解から一刻も早く解放され、社会経済環境の変化を冷静に見つめてほしい。(下石田)
【沼朝平成28年1月16日(土)号寄稿文】
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  1. 2016/01/16(土) 06:33:22|
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